中村宏先生の個展について

これから書くことは描くタブローに固執している人間のたわごとみたいな側面もあるので、興味のない方はスルーして下さい。


中村宏先生は僕が行っていた東京造形大学でもう数十年非常勤講師として指導されてきていたわけですが、学生時代は正直その意味を理解できていませんでした。その存在の大きさに気付くことができたのは、ずっと後の造形大での助手勤務時、学生用のスライドレクチャーを一緒に見る機会が毎年あったお陰です。中村宏先生の絵というとドロドロした図像に目をひかれてしまうけれど、作品を順をおってみていくとタブロー上で冷静に視覚言語を練り上げていて、作品がきちんと自律発展していることがわかります。

優れた画家のモデルの 2つの形として、仮に「一瞬の改革」型、「継続することで完結する世界」型を考えるとします。おおざっぱな分類なのでつっこまれるとこまるのですが。
前者は一瞬だけ発明や改革の役割を果たして、そこで価値が決まるタイプ。カンディンスキーマレーヴィチ、ウォーホルなど。
後者は制作が次の制作を呼ぶ積み上げ型で、生涯の制作を通してひとつの作品と呼べるようなタイプ。モネやロバート・ライマンなど。
(ちなみに以前はこれを仲間内で「パンク」と「ヘビメタ」と呼んでいました)
で、自分としては自らの資質の自覚もあり、後者こそ画家らしい画家として強烈な憧れがアあるのですが、日本ではこのタイプでいい絵描きがあまりいないのです。戦後前衛世代は特に。
例えば河原温の浴室シリーズも、確かに戦後日本美術のある成果ではあると思うのですが、一瞬の輝きの後に河原温自身はコンセプチュアルな仕事に飛躍してしまいます。中西夏之も河口龍夫もそう。

つまり容易に転向せず、継続して描くことでオリジナルな作品に到達できた戦後の前衛世代の日本の絵描きをぼくはあまり知らないのです。狭義の前衛という枠をはずせば、熊谷守一なんかもいるのですが、こと前衛世代に限って言えば中村宏先生が唯一の「画家らしい画家」なのではないかと思っています。