図画事件のトークと絵と

  • 一貫して、画面の描写に起伏がない印象。隅々まで筆で描き「抜き」や省略はない。きわめてクールな図の配置、技法の実験場として制作されているように見えるのだが、構成でつくられた画面の抑揚とのギャップが奇妙。シュルレアリスムの絵画と異なるのは、ひとつの空間への整合よりもフラットな面への「配置」の意識を強く感じられるところ。このへんが中村作品の特性だと思う。
  • 近作のモンタージュの作品の萌芽は初期50年代の作品にもみつけられる。線画と、描写と、色彩と、モノクロームと、異なる場面が一枚の絵に集積している。
  • 「「ルポルタージュ絵画」は沢山の人が参加していた運動だった。今思えば最大の美術運動だったかも知れない」とのお言葉。当時ルポルタージュ絵画を描くことは特別なことではなかった、と言うことで暗に思い返せば最初から絵を描くことへの関心が制作動機の中心であったと言っているとも。
  • 赤が主題の作品の初期の赤色は、白黒で絵を起こした後にグレーズで重ねられた透明色の赤だった。ずっと赤で描いているものだと思っていた。
  • ここ数年の近作は都美術館の駒展(あのポチポチの壁面)でしか見る機会がなかったのですが、今回都現美地下展示室の真っ白い空間であらためてみてみたら前の印象よりすごく良く見えた。
  • 中村先生が自作を解説される際、はったりを排し、半分茶化しているような語り口調になってしまうのは、作品を「ロマンチックなもの」に帰すことを良しとしないからなのかな、と。「芸術家」を演じたりしない、できないところって共感できるけど、損だなあと思ってしまう。