分岐を潰す作業

ここに到着するだろう、というところを想定しそこに近づくために描きはじめるのだが、途中で「ここでとどめた方がいいんじゃないか」と思う瞬間というのが多々ある。そして想定していたのとは別の絵の可能性を感じ取り、そちらの絵の方がひょっとしたらいいんじゃないかと思い始めると絵が止まる。そこから、たいていは「絵は攻めた方がいい」という倫理がはたらいていくつもの分岐から一つの道を無理矢理選んでいく。つまり多くの可能性を潰した結果が画面に残る。分岐に対して迷いがないとき、最初の意思がまったくぶれないときもあるが、それは純粋なようで結果は大抵つまらないものしかできてない。逆に途中に何度も絵が止まり、結果迷いがそのまま画面に残っている絵は後から眺めると自分が作ったものでないように読み取りきれないものを残している。
問題は、作品単位では経験上そう言い切れるのだが、展覧会は意思がぶれていないものの方がよく見えてしまうこと。