「日本近代美術」ってなぜココロひかれるのか

先週くらいに読んでいた日本彫刻の近代の中で、明治初期を担当されていた古田亮さんという方のテキストが群をぬいて面白かったのでちょっとググり。北澤さんのラインの研究者の方だと思うのですが。
で、京都国立近代美術館の「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」展関連で「電子メール討論会:「揺らぐ近代 揺らいでいるのはなにか?」 」に古田さんのテキストあり。以下、気なるところ。

なぜ、近代日本美術には日本画と洋画の区別があるのだろうか。
日本画と洋画はいつ、なぜ区別されたのだろうか。
日本画と洋画の区別は、何をもたらしたのだろうか。
日本画も洋画も描いた画家は何をもとめたのだろうか。
日本画とも洋画ともつかない「絵」があるのはなぜだろうか。
日本画と洋画のはざまにには何があるのだろうか。
東京藝術大学大学美術館助教授 古田 亮 メッセージ | 京都国立近代美術館

前半の

なぜ、近代日本美術には日本画と洋画の区別があるのだろうか。
日本画と洋画はいつ、なぜ区別されたのだろうか。
日本画と洋画の区別は、何をもたらしたのだろうか。

は散見していた問だけど、

日本画も洋画も描いた画家は何をもとめたのだろうか。
日本画とも洋画ともつかない「絵」があるのはなぜだろうか。
日本画と洋画のはざまにには何があるのだろうか。

は新鮮。

ふつう我々は言葉や制度がつくりだした「近代」を鵜呑みにしていますが、実際には江戸時代から存在していた実体としての「近代」というべきものがあって、そうしたものには、なかなか適当な言葉が当てはまらないために見てみぬふりをされかねない、とういう状況があります。
投稿 No. 4 (東京藝術大学大学美術館助教授 古田 亮) | 京都国立近代美術館

「近代」のはじまり問題も興味深いです。
カタログ見てみよう。