午後から外出。switch pointで造形後輩の荒木くん個展見。今回は木彫。展開が読めない。おもしろいなあ。
のち原美術館のジム・ランビー展。一部屋ずつが狭い全館がほぼワン・アイデアでできているとちょっとモノ足りない。
あっというまに見終わってしまい消化不良感があったので予定していなかったけどいずれ見る予定だった目黒区美術館の「
上野伊三郎+リチ コレクション 展/ウィーンから京都へ、建築から工芸へ」展見。http://www.mmat.jp/event/ueno/outline.html
いくつかの点で興味深い展覧会でした。まず上野リチの壁紙デザインなど作品がとにかくキュートだったこと。また、上野伊三郎の名をつい最近読んでいた磯崎新の「建築における「日本的なもの」」で見つけていたこと。以下引用。

近代建築の言説的枠組みに「日本的なもの」を組みこむことに強い影響を与えたのも、やはり外部からの視線である。ブルーノ・タウト(1880-1938)は1933年、ヒトラーが政権を奪取した直後、日本に亡命した。来日以前に彼にどれだけの日本建築に関する知識があったか、何ひとつ記されていない。殆ど皆無だっただろう。シベリア経由で裏日本の港町に到達したタウトは、そのまま京都に滞在、翌日、桂離宮に案内されている。当時この離宮宮内省が管理し、一般公開されていなかった。ブルーノ・タウトをむかえいれた日本の若い建築家達があらかじめ段取りしてあった。一般的には有名でなく、一部発表されていた写真では具体的な情景を伝達することも不可能であったはずである。そんな情報しかないタウトに桂離宮をまず見せるという戦略的なスケジュールを組んだのは、大阪の「インターナショナル建築会」というグループの建築家たちで、その中心人物上野伊三郎はウィーン工作連盟で学び、帰国していた。
p17-18

建築における「日本的なもの」

建築における「日本的なもの」