アトリエ日+「希望の技法-The Art of Hope-」オープニング

日中アトリエ。
晩外出。
国分寺switch pointにて造形大先輩のグループ展「希望の技法-The Art of Hope-」のオープニング。ハイジマさんがムサビで非常勤講師をしていることもあり、ムサビの学生さん多数。加えて僕とそのちょっと上の世代の美術家さんたちが同じくらい多数のため展示を見る状況ではなくひたすらお話。そんなこんなで、2次会まで。


展示について書ける事はないので、ちょっと気になった展覧会についての西村智弘さんのテキスト「造形大ポストモダン系譜」の用語について。

1990年代の前半において、現代美術系の絵画の主流のひとつは、抽象表現主義の流れを汲むフォーマリスティックな抽象絵画であった。造形大の絵画科にもその影響は広がっていて、モダニズム系の抽象絵画を制作する学生が多かった。ここには、母袋俊也や赤塚祐二が講師としていたことの影響が強かったようである。

そうした傾向に変化が現れるのがちょうど「FOURTH」の世代あたりからである。彼らは、従来のモダニスティックな絵画から、より自由な作風へと移行した。作品の幅も広がっていて、映像やインスタレーションを制作する学生が増えていた。たとえば、当時の吉尾は映像作品をつくっており、絵画科の講評にも映像を出していた。また福田は、ダンボールでつくった箱にドローイングや写真をコラージュしたインスタレーション的な作品を制作していた。

こうした作風の自由さは、それまでのモダニズムのスタイルに対するポストモダンの現象であったと考えることができる。つまり彼らは、造形大の絵画科においてポストモダンの傾向を担った最初の世代なのである。実際、90年代前半は、村上隆や中村政人らによるポストモダン系の美術が台頭した時期に当たっている。当時、榎本や硨島は、スカイ・ザ・バスハウスでアルバイトをしており、とくに硨島は中村政人の展示の手伝いをしていた。彼らは、ポストモダンの風潮を身近に感じていたはずである。
http://www.switch-point.com/2009/0920aoh.html

「1990年代の前半において、現代美術系の絵画の主流のひとつは、抽象表現主義の流れを汲むフォーマリスティックな抽象絵画であった」というのは確かに、と思いつつ、ここ以降で用いられている「モダン」「ポストモダン」とう語がややひっかかってしまうわけです。それは、やはり一般的には美術におけるポストモダンというのは1980年代のインスタレーション全盛の頃のことであり、造形大でも同時期にその影響は受けていたはずだったという認識がぼくにはあるからです。で、それがあったと思えば、上記の抽象絵画の流れはその反動だったのではないかなと思っていますし、さらにその意味で抽象絵画の流れはポストポストモダンであり、それ以降はポストポストポストモダンといえるものかもと思ったりもします。
一方で、ぼくがモダン/ポストモダンを考えたうえで参考になったテキストの一部を引用しますが

1つは、ポストモダンと専ら言われている概念は実はモダンであるということ。そして、その際モダンとして了解されていたいたこと(大きな物語、作品の統一性)はむしろクラシックだということ、従って、ポストモダンなるものはこれまで基本的に存在しなかった。次に、しかし逆に言えば、モダンの概念が抽出され得るということは、すなわち我々の生きている生の諸条件もはやモダンなものではなくなり、いわば認識論的な距離を獲得していることの結果であるということ。言い換えれば、我々はポストモダンな世界を既に生きているために、未だにポストモダンを認識できない、丁度自分の見ている眼を自分では見ることができないように。
清水穣「不可視性としての写真 ジェームズ・ウェリング」(1995) p33
http://www.wako-art.jp/publications/james_welling/the_photographic_invisible/

ちょいと難解なのでぼくも消化しきれていなかったりもするのですが、「モダン」を相対化しいている、「モダン」があったことが認識できているということはポストモダンにいるということであり、逆に言えば「認識した」ところから本質的に変わっていないがためにいまだにおそらくいまだポストモダンにいるというしかないということなのかなと受け取っているですが、美術においても同様、美術の枠内ではまず「近代美術」があり、それを相対化して認識できている状態である「それ以降」があるとしか言えないんじゃなかろうかなというのが今のところのぼくの認識であります。

あと、加えますが、このようなあるスタイルの美術を指し示すために用いている語への違和感をのぞけば、西村さんのテキストが示そうとしたことには同意していますし視点も面白く、重要な指摘だとおもっています。