奥村雄樹「くうそうかいぼうがく 落語編」

http://www.misakoandrosen.com/exhibitions/10/06/
会場:Misako & Rosen
会期:2010年8月22日(日)-9月19日(日)※月曜休
開廊時間:火-土12:00-19:00/日 12:00-17:00
落語:笑福亭里光
高座:田中裕之建築設計事務所
内容:22日は笑福亭里光氏による創作落語の実演。24日以降はその記録映像、特製の高座や写真作品などによるインスタレーション
オープニングレセプション(サンデーブランチ):8月22日(日)12:00-17:00
[ 落語 家笑福亭里光氏による演目 ]
1日2回公演:第1回 13:00/第2回 15:00 先着順にお弁当をお配りいたします。
(公演中の20分間はギャラリーへの入場、電話応対ができなくなります。開演10分前にはお越し下さい。)

「くうそうかいぼうがく・落語編」について

今回僕は、子供のころ「まんが日本昔ばなし」で見て衝撃を受け、以来ずっと心に残っていた昔話「善兵衛ばなし」に取り組むことにした。

この昔話では、現実には「ありえない」解剖学的な構造に基づいて、知覚の対象が空高くまで遠ざかったり、逆に極限まで近づいて体内へと裏返ったりする。それが子供心に衝撃的だったのは、大げさに言うと、僕自身のふだんの体感を振り返ったときに、ふつうに「ありえるかも」と納得できたからかもしれない。なんせ僕は、自分の体の解剖学的な構造を直に見たことがなかったのだから(今もないけど)。

ところで、落語にも荒唐無稽な解剖学的構造を扱った演目は数多い。「犬の目」「頭山」「首提灯」など。落語で実際に目の前にあるのは、座布団に固定された噺家の身体だけ。この形式それ自体が、言葉(物語)の上でのみ可能なありようを表現するのに適しているのだろう。僕たちの素朴な実感として「あり」であるかぎり、落語はどんな身体構造もいきいきと描き出すことができる。

だとしたら、「善兵衛ばなし」を落語に変換するとどうなるだろう。この思いつきを出発点に、今回のプロジェクトは始まった。笑福亭里光さんという素晴らしい噺家さんとの出会いもあった。僕たち人間の素朴な実感において、身体の構造というものがいかにゆるい可変性を持っているのか。笑いをもたらすと同時に、このことを浮き彫りにする作品になるといいなと思う。

奥村雄樹