信用できる人間と、作品が信じられる人間と、発する情報が信じられる人間は同じではない

地震以降、私のTwitterタイムラインは公式RTによる見知らぬアイコンが乱れ飛び、ちょいと自分の情報消化の速度を超えてしまっておりましたがようやくちょっと落ち着いてきた感もあります。
信用できる人間と、作品が信じられる人間と、発する情報が信じられる人間は同じではない。
目の前で起こっていない事象についての情報はすべて間接情報であり、間接情報を信じるためにはそれなりの検証を要する、のですが、そんなことをやっていては日常生活がままならないので基本的には発信元の「信用」で判断している部分が大きいです。ただし、それを他人に伝えるとなれば慎重さが要るものだというのが私のスタンス。エビデンスなしに伝えたりできません。
自分の専門領域に関しては経験による判断とカンが働くわけですけれども、それ以外は消化時間がかかります。