東京造形大前期終わりで

この春より東京造形大の絵画専攻の非常勤講師を勤めております、というか戻りました。前回4年勤め、3年間が空いて2回めです。
そして今日が前期〆の講評会でした。熱のある作品、気付きから発展したフレッシュな作品、焦りのある(つまりアーティストになりたい気持ちの強さが滲みでた)作品が集まっていて、見ていてとても楽しかったです。
他の美大で教員を始めたりしている知人友人から話を聞いたり、自分が呼んでいただいた美大の様子を見ていると「講評会」と呼んでいるものが各所で名が違ったり、やり方が違ったりしているのですが、基本的には学生の作品について教員が感想を述べる、あるいは学生を交えてディスカッションを行うものであると思います。造形大での担当コースの講評会システムがベストかどうかはさておき、現状での私の役割は与えられた少ない時間でコメントすることです。
難しいのは、今やどこの美大でもそうかも知れませんが学生が見せてくれる作品が絵画専攻であっても既に多様なものであることです。絵画であったり、映像であったり、写真であったり、パフォーマンスであったりと全方位への対応を求められます。
僕がやっていること(やりたいこと)は、「作品についての情報の整理」「近似する作品の情報提供」「次の可能性の話」です。情報の整理、は学生が作品について述べることと作品の中で行っていることは必ずしも一致しません。言語上の願望と作品上の願望のズレを指摘し、どっちを優先するのかなあ、みたいな話をします。でも決めるのは自分ですから「こうしろ」とは言いません。次、情報提供、は作品について誤解のないように予防線を張って丁寧に話をしても、講評会の短い時間ではなかなか伝わりません。好意的に受け止められたか否かしか残っていないような印象もあります。しかし固有名詞だけは確実に伝わるし、そのメモさえ残っていればそこから各自調べることはできるのです。なので出来るだけ、フィットするアーティストや作品の話を残したいのです。最後、可能性の話、は止むをえず否定的なコメントをしなくてはならなくなったときにそれが行き止まりにならないようにしたいと思っています。「詰み」だと思うのはつらいし、実際「詰み」なんて無いし、真剣にやっていれば無駄なことは何一つないのですから。