展示環境と作品の善し悪し判断について朝夕考え

ホワイトキューブでの善し悪しは一瞬で判るがそれ以外ではその感覚が作品に依るものなのかまわりの環境によるものなのか判断しづらい。ホワイトキューブではそこではない別のホワイトキューブで展示されている別の作品の記憶と比較できる(ように思える)故、白箱を出ると判断のよりどころをつくりづらいのかもしれない。さらにいうと比較検証のしづらい場所では、環境が良ければそこになにを代入しても変わらずよく見えたりするともいえたり。
ここで考え方を変える。それはその環境にあり、あれはホワイトキューブにしかない。それがその環境にあるのはいつのまにかそこにあるのではなく、ある意思によってその環境に置かれている。そこにないものは置かれていないからないのであり、それもまた意思に依っている。つまり作品がある場所を無化して判断しようとする習慣はナチュラルなのかどうかなあという話。