pre展初日

六本木労働。
労働後、国分寺switch point。特にオープニングは予定していないけれど初日なので一応会場に。ありがたいことに数人の友人と後輩が集まってくれ、トミイくんもかけつけてみんなで飲み。
帰宅後制作。

展示に関しては考えれば考える程落ち込んでくる要素がいくつかあって悩ましい。結論としては過去の自分を褒めてもけなしても仕様がない。制作人生のなかであれらが1/1000000くらいの重みにしかならないくらいの量と質をこれから作るしかない。

トミイくんの作品に関しては、ぼくはあれらの石膏の人形作品の存在をしっているから今の作品も完全に信用できているわけです。その意味で近作との併置はそこを再確認できるよい機会となったと思います。

ついでに自作も解説。最初期1995年の制作物は今もそうですが「自分以外の力によって生まれてきているものを見つけ、そこからはじめること」の遠因となっています。窓際のドローイングはその流れで、写真から拾った線のみで描かれている過渡期。2003年のドローイングはレディメイドに頼らずに描くことは可能かどうかを再検証し探っていた反動の時期。結局それはけいとだまのタブローに帰結するのですがそれ以上モチーフを展開できなかったのでそこで3次元のものを2次元に写すことはいったん封印。カウンター上の絵のような具象画もトライしていたけれど選択肢が多いはずなのに多すぎて絞れない。そして2次元のものを2次元に描くという制限を自分に課すことにし、今に至るという流れ。
結局描かれたものに意味があるような作品になってしまうことが気持ち悪かったんだと思う。
つまり、内容は描き方であるということ。