瀬木慎一・デザイン激動時代の目撃

瀬木慎一・デザイン激動時代の目撃

瀬木慎一・デザイン激動時代の目撃

読了。本文は教科書的な正論が続く。はっとしたのはあとがきの以下の記述。

〜突然、日宣美展において、折から注目されていた新人の杉浦康平から突然の申し入れがあり、彼とその仲間の粟津潔勝井三雄福田繁雄と会った。日宣美は重要だが、それとは別に自分たちの独自の活動分野を切り開きたい、というその意欲に共鳴して、何らかのことを一緒にやろうと考えて、やがて幾つかのことが実現することになる。

その一つは、そのころから私が携わるようになった美術展の事業で、それにはさまざまなアート・ワークがあるにもかかわらず、デザインの観点から扱われることが少なかった。そこで、私が次々に担当することになったピカソシャガールなどの展覧会のためのポスター、カタログ、各種の宣伝物のデザインを一括して粟津潔に担当してもらい、同時に、当時、企画の相談に乗っていた東京画廊の内外作家のカタログ類のデザインを、ロゴマークを含めて一切を杉浦康平に委ねることとした。

美術とデザインをつなぐ線、なんて先日書いたけど思いっきりここにありました。東京画廊と杉浦さんを結びつけた、のみならず展覧会カタログとデザイナーを結びつけたのが瀬木さんだったとは。