ホセ・マリア・シシリア展@タマダプロジェクト

1999年に知人からもらった同会場での個展DMの花の絵がどうにも気になっていたホセ・マリア・シシリア。その後古書店で洋書カタログを買い、日本での1989年「スペイン・アート・トゥデイ」展カタログも買っていたものの今年の長崎の個展も行けず、ようやくほぼ10年越しでかなった実見の機会。
写真では「溜まった厚みのある蜜蝋に描いている」ことからくる透明感しか判らなかったのだけど、実作は想像以上に仕事の厚みがある。とにかくディテールが「描いて」あったし、その表面のテクスチュアは、僕の中でつながりが判断できなかった「スペイン・アート・トゥデイ」展の油彩の写真からも伝わる変な絵具の付きー人が描いたことを消去したような、自然が作ったような風合の細部と、大胆に描かれているように見えていた花のシリーズとの関係はあっさり理解させてくれた。なんのことはない、花の絵もきっちりセンチ単位の絵具の粒でで描かれていたのだ。
ただし描かれている、といっても筆で描写されているわけではない。流し込まれた蜜蝋に半乾きのまま溶かし込まれた絵具、表面に流し込まれた絵具、そして上からスプレーで吹き付けられた絵具、きちんとコントロールされて置かれている細かなドットが、絵の表面を挟み込み表と裏、両側から作られているように、そして人がつくったものではないかのように必然的に感じる動勢で固定されている。この、驚異的にコントロールされた物体を目の前にして感じるのは、不思議なことに写真よりもダイレクトに絵のビジョンが映像として感じられるということだったりする。豊かなテクスチュアにより近づくと表面に留まる視線は、乳白色で若干透明感のある蜜蝋によって光を受け取るように表面よりも奥へ向かう。その経験は写真的な視覚にも依拠していない。自然の経験ような、伝統的な絵画の奥行きとは異なる経験の質を持っていた。