Maki Fine Arts 5周年記念展 「控えめな抽象」

Maki Fine Artsの5周年記念の展覧会をキュレーションしつつ、自身も参加します。タイトルは「控えめな抽象」です。
私なりのやり方でよい展覧会となるように頑張ったつもりでおります。是非ご覧いただけると嬉しく存じます。


展覧会名:Maki Fine Arts 5周年記念展 「控えめな抽象」
参加:高橋信行、田中和人、末永史尚、佐々木耕太、松延総司
http://www.makifinearts.com/jp/exhibitions/discreet_abstraction.html
会場:Maki Fine Arts
会期:10月31日 - 11月15日12:00-19:00 ※月・火・祝祭日休
オープニング・レセプション:10月31日(土) 18:00 - 20:00

控えめな抽象 discreet abstraction

私が見たいのは、既存の作品の記憶や日常の見慣れた視覚をすり抜けた先に見える作品である。
既に多くの良い/美しい作品があるのだから、もはや作らずとも良いではないか、とする考えもあるかも知れないが、それらはインターネットもデジタル写真も低コストの複製技術も存在しない頃に出来たものであり、今とは別体系のの視覚世界での造作物なのである。よって今の視覚経験を消化したうえで制作という営為と結びつけ残すことには意義があるし、そこから既存とは別の美は生じうると考えている。それは自分がたまたま持ってしまったスタイルを既存の作品に結びつけることや、直接的なコミュニケーションで時代感を共有するようなものではなく、距離を感じ取り、その差異を飲み込んだ先にようやく見つかるようなものではないか。その一つの可能性として、「控えめな抽象」という言葉を与えてみたい。

抽象は、認識された時に非対称的なものとして現れたため、何も表象しないもの、あるいはジャンルの自律の問題として半世紀近く展開してきた。しかし私は対象を持たないことよりも慣れた絵画的、彫刻的視覚をすり抜け、切れ目を与えたことにこそに意味があったのではないか、と考えている。抽象は非対象か否かに関係なく生じる。具体的なモチーフを指示するタイトルを持ち、像に結びつけることができるパウル・クレーの作品が抽象絵画の歴史初期でも代表的なものとして認識されるのは、そういうことではないか。

本展に出品するアーティストは、作品の組み立てかたとしては具体的なモチーフを持ち、それの写しであることが多いのであるが、そこから受け取る印象はその意味での抽象だと私が受け止めている作品を制作している。佐々木耕太は実際に行ったことのないアートにまつわる場所の建築模型を制作し、それを描く絵画作品を制作している。図的な要素と油彩のマテリアル、また視点位置の設定によって絵画鑑賞の体験をずらされる。高橋信行の絵画は洋画、日本画木版画、写真、それぞれの視覚的要素を持ちながら、そのどれにも属さない状態で均衡している。田中和人は写真が視点を持っているという見る側の信頼を巧みに操ることによって写真的視覚を脱臼させている。松延総司は物体をトレースし、テクスチュアをずらすことで日常的に物をみている感覚に介入している。
彼等は具象的手法を転用することで作品を制作しているが、そこから受け取るのは既存の作品の感覚をすり抜けた、別体系の作品感覚であり、あからさまな抽象ではないー控えめな抽象である。

末永史尚