KABEGIWA企画 第16回「DM展(1)」@ hibit

私も個展や二人展を開催させていただいたことのある名古屋のCafe+ Gallery See-Sawに小さな新スペース「hibit」ができ、それに伴い名称もSee Saw Gallery+hibitと変わりました。そのhibitの1〜3回目の展覧会はギャラリーの方で個展を開催する画家の佐藤克久さんの企画で3組に企画が依頼され(ややこしい)、1回目が冨井大裕さんと私のユニットである「壁ぎわ」の企画展となりました。それが「DM展(1)」です。本展では佐藤克久さんに依頼し(ややこしい)、セレクトしてもらったDMが展示される予定です。既にセレクトは済んでおり、その内容と選択理由のコメントは壁ぎわさいとに掲載しています。
http://kabegiwa.com/news.html
ひとまずこのコメントを読んでいただくだけでも楽しめるポイントがあるように思いますが、会場にて佐藤さんの個展とともにご覧いただけると幸いです。
初日17時より石崎尚さんもお迎えしてトークイベントも開催し、そのままレセプションとなります。名古屋はあいちトリエンナーレ開催中ですので夜は是非新しくなったSee Saw Gallery+hibitにお集まりください。


「DM展(1)」
会期:2016年8月27日(土)ー9月17日
水・木|12:00ー17:00 金・土|12:00ー19:00 ※日・月・火 休
会場:hibit
DM 選者:佐藤克久(美術家) /フライヤーデザイン:川村格夫(ten pieces)

トークイベント「DM とは何か(1)」
日時:8月27日(土)17:00 ~終了後レセプション
登壇者:佐藤克久、石崎尚(愛知県美術館学芸員)、末永史尚、冨井大裕
先着 30 名程度、予約不要

東京造形大前期終わりで

この春より東京造形大の絵画専攻の非常勤講師を勤めております、というか戻りました。前回4年勤め、3年間が空いて2回めです。
そして今日が前期〆の講評会でした。熱のある作品、気付きから発展したフレッシュな作品、焦りのある(つまりアーティストになりたい気持ちの強さが滲みでた)作品が集まっていて、見ていてとても楽しかったです。
他の美大で教員を始めたりしている知人友人から話を聞いたり、自分が呼んでいただいた美大の様子を見ていると「講評会」と呼んでいるものが各所で名が違ったり、やり方が違ったりしているのですが、基本的には学生の作品について教員が感想を述べる、あるいは学生を交えてディスカッションを行うものであると思います。造形大での担当コースの講評会システムがベストかどうかはさておき、現状での私の役割は与えられた少ない時間でコメントすることです。
難しいのは、今やどこの美大でもそうかも知れませんが学生が見せてくれる作品が絵画専攻であっても既に多様なものであることです。絵画であったり、映像であったり、写真であったり、パフォーマンスであったりと全方位への対応を求められます。
僕がやっていること(やりたいこと)は、「作品についての情報の整理」「近似する作品の情報提供」「次の可能性の話」です。情報の整理、は学生が作品について述べることと作品の中で行っていることは必ずしも一致しません。言語上の願望と作品上の願望のズレを指摘し、どっちを優先するのかなあ、みたいな話をします。でも決めるのは自分ですから「こうしろ」とは言いません。次、情報提供、は作品について誤解のないように予防線を張って丁寧に話をしても、講評会の短い時間ではなかなか伝わりません。好意的に受け止められたか否かしか残っていないような印象もあります。しかし固有名詞だけは確実に伝わるし、そのメモさえ残っていればそこから各自調べることはできるのです。なので出来るだけ、フィットするアーティストや作品の話を残したいのです。最後、可能性の話、は止むをえず否定的なコメントをしなくてはならなくなったときにそれが行き止まりにならないようにしたいと思っています。「詰み」だと思うのはつらいし、実際「詰み」なんて無いし、真剣にやっていれば無駄なことは何一つないのですから。

私の属する空間

抽象的な形態の作品が展示されている展覧会の会場で作品を探しながら目を凝らしているとき、作品でないものを作品だと思い込んでしまっていたと気づくという経験があります。そんなときは思わず作品を誤認していたことの恥ずかしさで「誰かに見られてたかな…」と周囲をチラ見したりなんかして。
私にとってそれの初期というか初めての経験はまずは1994年、まだ吉祥寺にあった頃のギャラリーαMでの伊藤誠さんの個展でした。ほの暗いビルの通路の先にあるギャラリーにたどり着いて作品を見ようとしたとき、ドアの周りにあったものを作品だと思い込んだまま鑑賞を続け、見続けるうちにあれ、と思い作品データを確認してハッとした、という。
また、同年にギャラリーQでの坂崎隆一さんの個展では、ギャラリーがそもそもはビルの部屋であるという会場の仮設性を逆手にとった空間の扱い方をした作品を見ておりました。こちらは明確に「普通の鑑賞」を逆手に取った作品なのですが、作品を前にいつもの作品/非作品の境目の判断とは異なる対応を迫られ、自分の判断の成否に自信がなくキョロキョロしてしまった記憶があります。
今思えばそれらは作品に台座や額縁がないことの効用としての現実空間への侵犯の感覚であり、作品を観るということが外界から遮断された真空で行われているわけではないこと、生活と地続きの、私の属する空間で見ているのだということをあらためて認識させられた、そんな経験であったように思います。
以上、20年以上遅れた展覧会レビューでした。