O JUN「畳に目」

日記

制作、大学のオンライン会議、事務作業。
昼過ぎに歩いて小平の照恩寺へ。 画家のO JUNさんの個展「畳に目」展を拝見しました。
奥の和室二部屋での展示。衝立状に立ったアクリル板に挟まった、紙に色鉛筆(たぶん)で描かれた絵が1点。窓が描かれているためビルのように見える、箱状に組まれた厚紙ボックスの作品がかたまって沢山。着彩された円形のシートが4点、会場に散在。部屋のわりと真ん中に鎮座する、大きさ90cm、ページの厚み5mmくらいの巨大なドローイングブック。
本人に伝えたことはないけれど、Oさんって紙に描くときが最強だと思っています。紙への描く、塗る、押し付けるなどの技の多彩さ、地の色の活かし方。御し方、いなし方。

O JUN「畳に目」|てらすブログ|照恩寺|東京都小平市 浄土真宗本願寺派

ギャラリーシマダ アーカイブの話

昨年度から、勤務先の東京造形大学の教育研究助成金という制度を利用して、『現代美術ギャラリー「ギャラリー・シマダ」の調査とアーカイブ作成』という研究を行っています。ギャラリー シマダは1984年に山口市に開廊し、のち、東京に移転、2004年まで活動していた現代美術のコマーシャル・ギャラリーです。トーマス・シュトゥルート、河原温、アラン・ジョンストン、ニエーレ・トローニ、白川昌生、竹岡雄二、ダン・グレアムなどなど内外で活躍する現代美術のアーティストの展示を行ってきました。しかし、僕は山口市出身なのですが、1984年はまだ10歳なので、当然知るわけもありません。山口で1年大学受験浪人していた時に現代美術に興味を持ったのは1993年。その頃にはギャラリー シマダは山口から東京に拠点を移していました。1994年に僕は上京しますが情報が入ってこないままで、2000年頃にようやく表参道のギャラリー シマダを訪問した程度でしか知らなかったのでした。意識しはじめたのは阿部良雄さんが白川昌生さんについて書いたテキストにその名前を見つけてからだったでしょうか。山口時代の画塾の先生から「オーナーさんは高校の先輩にあたる」「日本で多分最初にリヒターの作品を扱った」などなど耳にし、その活動に興味を持ち始めたのです。
このあたりのことを書き始めると終わらないので端折るとして。
その後、自分も山口で発表させていただくことによってオーナーだった嶋田さんにもお会いできるようになりました。先に書いたような、近くにあったはずだったのに見逃してしまっていたギャラリー・シマダの活動について、嶋田さんにインタビューを行って残すようなことが出来ないものかと考えて人づてに打診したところ、「閉廊時の資料が整理されないまま残っており、デジタル化を検討していた」「手伝ってくれる方を探していた」とのことだったのです。ちょうど僕も東京造形大学に着任し、助成金制度が活用できることを理解できたタイミングでしたので是非に、と申し出たという次第です。
しかしこれがちょうどコロナ禍と重なってしまい、本来であれば頻繁に山口まで行き来して調査したかったのですがそれは叶いませんでした。ひとまず大量のフィルムや紙資料等の貴重な資料をお預かりして、スキャンを外注したり、自分でスキャンしたり、被写体を特定したりといった作業を続けています。
(続く)

「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」

今回は感想と言えるほどの内容ではないですが…。

三菱一号館美術館の「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」展を観ました。

ウィーンと京都で活動したデザイナー、上野リチ・リックスの回顧展。ウィーン工房所属デザイナーとしての活動と京都市染織試験場での仕事を中心に展示されていました。一部、群馬県工芸所での仕事が紹介されていた中に先日訪れた高崎の旧井上房一郎邸の主、井上房一郎の名前があったのがなんだかタイミングが良すぎな気がしました。あの建物にもおそらく訪れていたのでしょうね。

彼女がデザインしたテキスタイルや壁紙と、その原画も多く展示されていたのですが、晩年になるほど原画の筆致が自由で伸びやかに感じたりもしました。あと、マッチ箱の中身が描かれた七宝製のマッチ箱カバーがとにかく味わい深くて。

柳原良平京都市立芸術大学での彼女の講義に影響を受けた、というエピソードがネット上では見つかるのですが、詳細までわからず。ちゃんと調べてみたい気がします。

上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー|三菱一号館美術館(東京・丸の内)