「へうげもの」部部活動@横浜三渓園(5)

ラストです。苑をつくった原三渓の自邸、鶴翔閣。

鶴翔閣(旧原家住宅) 横浜市指定有形文化財
1902年(明治35年)三溪が建て、三溪園造成の足がかりになりました。 広さ290坪に及ぶこの住宅は、主に、楽室棟、茶の間棟、客間棟から構成されています。 上空から見た形があたかも鶴が飛翔している姿を思わせることから、“鶴翔閣”と名づけられました。 震災、戦災などをへて多くの改変がなされましたが、1998年(平成10年)から2000年(平成12年)にかけて修復工事を行い、建築当初の姿に復元されました。 鶴翔閣には日本を代表する政治家や文学者が集い、横山大観、下村観山といった日本美術院の画家が創作活動のために滞在しました。

横浜 三溪園 - Yokohama Sankeien Garden - | 鶴翔閣:概要

ふだんはレンタルでいっぱいで見学できないことが多いそうですが、見に行った日は午前中だけ空いていたとかで、職員のおじちゃんの解説ツアーに参加することができました。原三渓の人となりも立体的になる楽しい解説でした。

庭を臨む。本来は自邸を囲う木はなく、奥の苑が見渡せたそうです。

客間の付近。広い。そして、苑にあった建物とはうってかわってとにかく装飾のない家。

のっぺりとした通路。

茶の間。ほんとに飾り気がない。

ちょっと気になった書斎入り口上。

すごく気になった蔵。コレクションの保管に使われていたそうです。この家、蔵が一番デコラティブでした。

横山大観、下村観山らも画室として使用したという部屋。向かいの娯楽室(ビリヤード台付き)に気晴らしに行けたとかいう甘やかしぶり。ちなみに苑内の記念館でいちばん記憶に残っているのは「当時月6円もあれば生活できたところ、若い美術家に200円渡していた」という内容が年表に入っていたことでした…。