名古屋ボストン美術館「呼びとめられたものの光」展 のメモ

http://www.nagoya-boston.or.jp/exhibition/list/light-201109/outline.html


小林孝亘さんの出品作品はが器を描いたほぼ50センチくらいの作品4点。器を最初に描いた1997年の作品と今年描かれた作品が並んでいます。
長谷川繁さんはティーポットを中心に描いた作品4点と近年のキュウリとバナナをモチーフにした作品1点。こちらのティーポットも最初にモチーフにた1997年に描かれた大作から、2008年の割と最近の作品が混在している。名古屋ボストン美術館の企画展示「恋する静物」との関連で、静物モチーフだけの作品をセレクトしてあるとも言えますが、作家本人がセレクトしたらありえない展示だな、と思います。


冨井くんは透明の波板とロープの積層の作品と、穴あき金属板とスーパーボールの積層の作品、そこからかなり離れた所に色紙を筒にしたものを組み合わせた作品4点、と入り口に多面体の小さなコンクリの塊の作品を展示。


この展覧会、言外に「反復」が主題になっているように思えました。小林さんの器を描いた作品は間に10数年の時間を挟んでも、驚くほど変化がない。キャプションがなければ、その間の時間には気づけないほどに。
一方長谷川さんは同じモチーフを用いながら、サイズ、描出方法、絵の具の乗り方がてんでバラバラ。画面上に何を描いても、変化していくことが目的なように。


また、冨井色紙作品は同じモチーフ(素材)を扱いながら同時期にいくつものバリエーションを作り、それを同時に展示することで意味を持つ作品に見えます。一点、決定的な形を生むことが目的でなく、一つのルールで多様な形が生まれることに主眼がある。


小林さんと長谷川さん、それぞれの展示壁面は対面にあり、二人の同一モチーフの扱いが対照的なのがほんとうに明確に見えてくる展示です。それに冨井作品のバリエーション的な展開が加わっている。


冨井くんはトークで、波板作品1点にしぼってその成立過程をモノを観察して新しい使い方を見つけ出してから〜と説明していました。が、かなりの冨井展示を観ている僕からすると、「だったら積層構造の作品がなぜこれだけ反復して生まれるのか?」という疑問を感じながら聞いていました。


また長谷川さんもトークで「高校時代に所与としてあったポットというモチーフの意味に渡独して気づき、その思いがあって描かれたのではないか」と説明していて、その関連付けも興味深いのですがそれはやはり最初の一点の説明ではあってその後10年描き続けられるポットの絵の理由には結びつかない。


どちらも、モチーフを選んだ、あるいは形が生まれた最初の瞬間のエクスキューズとしては話が成り立つけれど、反復している理由は語り切れていないように思いました。けれど、こうして普段の展示ではあまり表に出さない反復の構造を見せられたとき、彼らの作品制作というのは、やっぱりそこ(反復)にこそポイントがあるのは確かに感じられるのです。
それはつまり、モチーフがなにであるか、ということよりも、その描き方、扱い方、積み重ね/差異化が制作の大きな動機のひとつなのだ、ということです。また、近代以降が顕著なように、静物画とはそもそもそのようなものであったと。