登山博文展

絵のしくみの複雑さやクリシェの避け方など非凡なものを感じるし、好きな絵だと思う。けれど、どんな内的必然性があろうとも、あれだけ丁寧なハードエッジの絵から激しい筆触の絵への移行は描き手の絵への態度にある種の胡散臭さを感じてしまう。これがうがった見方なんだろうか、どうなんだろうか?と絵の前で迷ってしまう時点で自分の厭らしさを自覚してしまい楽しめない絵ってどうなんだろうと思ったり。
絵を見てこんな複雑な気持ちになったのは久々。長谷川繁さんくらいサイズが大きければまた違うのかも。


http://www6.ocn.ne.jp/~g.kaku/toyama.html