東福寺 国宝三門 特別公開/大涅槃図修理完成特別公開

京都・東福寺の三門 特別公開と大涅槃図修理完成特別公開を見てきました。

三門に登ること、またその中に入ることが初めてのことで、それだけでも貴重な経験でした。門の上の構造内に天井低めのお堂のような空間があり、そこに多数の仏像が並んでいます。天井や柱には吉山明兆(1352-1431年)やその弟子による彩画が施されており、往時のきらびやかな空間を想像させます。

本堂(仏殿兼法堂)内では明兆作の大涅槃図修理完成特別公開が行われていました。通常は3月14~16日の涅槃会でしか公開されない作品ですが、2019年からの100年ぶりの修復作業が完成したことと、東京国立博物館での東福寺展の開催にあわせて特別に公開されており、見ることが出来ました。「大涅槃図」は縦11.2×横6.0mの軸装された絵画作品です。巨大ではありますが、堂内のやや高めの位置に掛けてあること、近寄ることが出来ないのでスケール感はいまいち掴めません。解説の方によれば堂本印象による龍の天井画の龍の手の中の玉が1.6mとのことですが全くピンとこないくらい巨大な空間なのです。
大涅槃図はそれでも堂々たる作品でスペクタクルでもありました。オレンジの発色が鮮やかで、もともとどういった絵具を用いていたのかも気になりました。

もう一つ、解説の中で「ん?」と思ったことがありました。このお堂は昭和9年(1934年)に出来たものですが、当時この大きさのお堂を支えることのできる柱の材料になる檜材は国内になかったため、台湾から取り寄せ、軍艦に乗せて運ばれてきたとのお話があったのです。
台湾には何故この大きさの檜材があったのか、状況を考えるとあれこれ想像もしてしまいます。

台湾は日清戦争後の1895年の日清講話条約の締結によって清国より日本へ割譲がされています。1934年とは日本による植民地経営が始まってすでに40年近く経った頃になります。

以下、インターネットで調べられる範囲で見つかった情報をまとめます。
http://www.rinnou.net/cont_03/05touhuku/
によれば、「用材は台湾阿里山檜」とのことです。
阿里山は台湾中央の山脈一帯で、1900年に日本がこの地の森林資材の豊かさを知り、開発が進んだとのこと。1914年には伐採した木材の移動のために阿里山森林鉄路が開通、日本に運ばれていきました。
https://afrch.forest.gov.tw/Ja/0000046
阿里山の檜は靖国神社の神門、東大寺の大仏殿など多くの神社仏閣で使用されているとのことです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/阿里山
当地は林業によって経済的に潤ったとするような記述もありますが、台湾の深い森を開発してしまったこともまた事実でしょう。
今見ることができる「日本の」寺社建築の背後にある歴史についても少し調べてみたくなりました。