造形日

造形大の日。
昨日は祭日でその前の3日間がオープンキャンパス、ということで大学は片付けムード。展示の名残の作品を眺めて周ったり。
午後は林道郎さんと母袋俊也先生のレクチャー講義に僕の担当授業全員参加というかたちになったのでぼくも講義教室へ。

まず「マーク・ロスコについて」ということで、川村記念美術館のロスコ展のカタログの構成にも関わってらっしゃった林さんのレクチャー。林さんがロスコの作品に感じる「親密さ」の感覚を、対面的な構造など、形式をみながら分析、シーグラム壁画の制作へどういう経緯でとりくむことになったのか、またその延長線上にある「ロスコ・チャペル」のプロジェクトにロスコがどういう思いで取り組んでいたのか、等など。
後半は母袋先生との対話形式。母袋先生が疑問をぶつけ、林さんが応える。
面白かったのは、林さんが「ロスコ・チャペル」を実見し、体験されたときの感覚から、グリーンバーグ的モダニズムの絵画観の「瞬間性」には収まりきらない、「時間性」のなかでの作品鑑賞を語ってらっしゃった事。作品と作品との関係、作品と作品との差異の感覚のなかで、作品が成り立っているのではないのか、というお話。
最初は唐突に思えたこの話をぼくがああ、と思ったのは、その後ふとした弾みでシーグラム壁画がスライドでぽん、と映し出されたときで、ロスコの絵って、実作の前に立った時に、作品図版のようには決して現れてこないんだよね。部分に目が行き、その、部分部分の関係の中で、初めて全体が感得される感覚があって。
そこでさらに飛躍して考えてしまって、チャペルの作品というのは、この、一枚の絵の中での部分部分の関係を8枚の取り囲む作品の関係に拡大させた、と捉えられないのかなと。そうすると、チャペルの作品のエッジのぼやけの消失とか、理由を見いだせるかもとか、考えてみたり。